「遠慮」にみる言葉の変遷

国語

「遠慮」という言葉、どのように使うことが多いですか?

「ご飯のおかわりを促されたが遠慮した」
「代表に推薦されたが遠慮した」

など

いえいえ私などがそんな出過ぎたことを

というようなニュアンスを感じる言葉に思います。

しかし、四字熟語の「深謀遠慮」は「遠い将来のことまで考えて綿密な計画を立てること」という意味であり、この場合は上のような意味を持ちませんよね。

今回はこの「遠慮」の成り立ちや歴史についてひも解いていこうと思います。

「遠慮」はいつから使われているか

「遠慮」という言葉が使われ始めた時代は、なんと紀元前にまでさかのぼります。

子曰。人而無遠慮。必有近憂。

(子曰く、人遠慮無ければ、必ず近憂あり。)

https://kanbun.info/koji/enryona.html

これは「論語」の中の一節です。中国で儒教を興した孔子の教えを弟子たちがまとめたのが「論語」なので、ここで言う「子」は孔子のことです。

「人は先のことまで深く考えないと、必ず近いうちに悪いことが起こる」

という、目先のことにとらわれがちな人に遠慮(先のことまで深く考える)を促す内容となっています。

このように、最初の時点では控えめにしたり辞退したりという意味は持っていませんでした。

江戸時代にヒントが?

それではいつ、今のような意味に変わったのでしょうか。

時代の変遷により自然に変わったとも言われていますが、興味深いのは

江戸時代の刑罰に「遠慮」がある

ということです。ちょっと何言ってるかわかりませんね。

江戸時代を舞台にした時代劇に出てくる刑罰というと「切腹」とか「市中引き回しの上打首獄門」とか「島流し」とか、かなり物騒なものを思い浮かべてしまいますが、その人の身分によって様々な刑罰がありました。

武士や僧侶のような「士」の身分の人だけが科せられる刑罰の中で「自由刑」にあたるものが「遠慮」です。
名前の印象に反してその人(場合によっては家族も含めて)の自由を奪う刑罰です。牢屋に入るのではなく自分の屋敷から出てはならない、というのが原則です。

自由刑にも何段階かレベルがあって、屋敷の一部屋に格子を設けてそこから永遠に出られない、切腹の次に重い刑罰「永蟄居(えいちっきょ)」から、潜門(正門でない小さな門)からひっそり出入りできる「差控(さしひかえ)」まで様々です。

その中で「遠慮」は「外出は禁止だが、客人の訪問や夜間のひそかな外出はOK」という、比較的軽い刑罰になっています。また「遠慮」はどちらかというと「自主的に」行う謹慎のことを指していたようです。現代で言うところの「法には違反していないけど社会的通念に反することをしてしまった芸能人がしばらくテレビに出てこなくなる」というのがイメージとしては近いのかもしれません。

そしてこの「自主的に謹慎する」という考え方、今の「遠慮」につながるような気がしませんか?

諸説ありますが、この頃から今の「遠慮」という意味が浸透したのではないかと想像しています。

おわりに

「言葉は生き物」とはよく言ったもので、使われていくうちに意味が変わったり、廃れたりするものです。「遠慮」も元の意味はかろうじて残っていますが、ほぼ四字熟語でしか使われていないのが現状です。こういうものを見つけたら「どうしてそうなったんだろう」と思いを巡らせてみるのも楽しいですよ。

私は「遠慮」について調べるうちに、江戸時代の刑罰が気になり始めたので、今度本を読んでみようと思います。

こういう出会いも、また一興ですね。

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